都市計画研究室とは 都市計画研究室の歴史 当研究室に入るには 当研究室で学べること

都市計画研究室とは

都市計画研究室は、早稲田大学社会環境工学科および早稲田大学大学院建設工学専攻に設置されている研究室です。創設されてから70年以上の伝統をもつ一方、現在の佐々木邦明教授が2019年に赴任され、リニューアルしました。

研究内容は、都市に関わる問題全般です。経路や交通手段選択といった行動モデルのほか、交通事故の要因分析や土地利用など、多岐に及びます。詳しくはこちらをご覧下さい。

また、当研究室では、研究にあたって必要となる知識を学べるゼミが整備されているほか、他のメンバーとも研究内容を随時共有し、お互い深め合える機会が充実しています。さらに、年間を通じて研究以外のイベントも多彩です。詳しくはこちらをご覧下さい。

都市計画研究室の歴史

早稲田大学都市計画研究室は、全国で2番目の1951年に発足しました。以来、70年以上にわたって、石川栄耀、松井達夫、大塚全一、中川義英の各先生方が着任され、2019年より現在の佐々木邦明教授が継承しています。

早稲田大学土木工学科は1943(昭和18)年に設立され、我国の大学では6番目、私立大学では2番目の設立となっている。早稲田大学計画系の歴史は、石川栄耀の招聘を持ってはじまる。終戦後直ちの1945(昭和20)年10月から非常勤講師として早稲田大学で「都市計画」の講義をおこなっていた。1951(昭和26)年4月、早稲田大学大学院工学研究科に建設工学専攻都市工学専修が設けられ、京都大学についで2番目の「都市計画研究室」が発足した。この新制大学の発足にともない、専任教授として大学院生の指導(建築計画先週の学生を含む)および学部における都市計画の授業を担当された。以来、石川栄耀が他界なさる1955(昭和30)年まで都市計画への多大な寄付とともに開設初期の学生を育て、早稲田計画系の基盤を創設された。

現在までに、計画系の卒業論文を履修した学部の卒業生は約600名に達し、計画系修士論文を提出し、社会で活躍している大学院修士者は約200名を数えるに至っている。なお、大学院は建設工学専攻都市計画専修と名称を変更し、現在は土木工学専門分野都市計画部門の中に「都市計画研究」、「交通計画研究」、「景観研究」の3つの研究指導をおこなうに至っている。また、1993(平成5)年から1995(平成7)年までは「都市防災計画研究」の研究指導もおこなわれた。

石川栄耀の後を受けて、1957(昭和32)年に松井達夫が専任教授として嘱任され、1975(昭和50)年に退任されるまで非常勤講師の時代を含め約20年間、早稲田の「都市計画」の教鞭をとられ、多岐にわたる研究成果を残されている。その間の1968年には社会科学研究所「21世紀の日本・早稲田大学グループ」の結成にともない、代表になられるとともに、学内における学際的研究交流に大きな足跡を残され、その精神は現在に引き継がれている。

1975(昭和50)年には大塚全一が三代目の専任教授として嘱任され、「都市計画」及び「国土及び地方計画」「交通計画」等の授業を担当された。大塚全一は10年間の在職中、多くの卒論生、修論生を指導するとともに8名の博士(課程内5名)を誕生させており、その中に後の専任教授である浅野光行、中川義英が含まれている。また、1980(昭和55)年に中川義英が助手となった。

1985(昭和60)年に大塚全一の後を受けて本学出身としてはじめて中川義英が助教授として研究室を継続された。同年に大学院教育の充実を図るため、東京都に活躍された鈴木信太郎を大学院講師として迎え、その貴重な経験を教育に反映していただいた。また、1991(平成3)年に中川義英が教授に昇格し、同年に森本章倫が、そして1996年に尹祥福が、2000年(平成12年)に赤松宏和が助手となった。

1993(平成5)年には棚橋一郎が大学院の客員教授として嘱任され(~1995)、国際技術協力も含めた「都市防災計画特論」の指導を担当した。

2019(平成31)年,中川義英教授が定年退職。2018年10月より社会環境工学科に教授として着任していた佐々木邦明が都市計画研究室を継承。

現在に至る。

(中川研究室ウェブサイトより引用・加筆)

当研究室に入るには

当研究室は、早稲田大学創造理工学部の社会環境工学科に設置されています。修士課程は、大学院の一般入試を受験して入ることもできます。

学部入試情報
大学院入試情報

当研究室で学べること

○ 統計解析手法
○ 行動モデルなど
○ 都市に関わる問題と現状
○ プログラミング
○ 論文の書き方など研究の手法
○ 英語